実写版映画銀魂を許せない

※映画本編の内容をネタバレしています※

※かなり批判的な内容です※

 

 

実写版銀魂、ついに公開されましたね。

どれくらいの方が見に行かれたのでしょうか、私は試写会に当選したので全国公開よりも一週間ほど先に本編を観ることが出来ました。

その日以来ずっと試写会に一緒に来てくれた友達とだけ内容を語っていたのですが、公開されたということでこのブログを書くことにしました。

 

簡潔に感想を述べると、記事のタイトル通りです。

あの映画だけを見て、銀魂という作品をああいうものなんだと思わないでほしい。

 

ワーナーブラザーズジャパンの公式ツイッターアカウントにも掲載されていた空知先生の文章を引用しますが

「メンバーが豪華だろうと原作が原作ですから基本泥舟。原作の実写化はイメージと違うと叩かれるのが常ですが、もう今さら何をやっても読者の皆さんの銀魂のキャラ像はブレないと信じていますし、ここに集まってくれた方々はそういう覚悟もした上で、それでも泥舟でもいいから銀魂に乗りたいと言ってくれた方々ですから、そんな人達の作るまた別の形の銀魂ならコケてもいいから見てみたいな、見てもらってもいいかなと思ったのが実写化をうけた僕の率直な気持ちです。」 

 

まさに空知先生らしいコメントだなと、読んだ当初感じました。

実写制作発表当時は、もうめちゃくちゃショックで吐き気が止まらなかったものですが、段々キャストの方々の写真が公開され情報が解禁されていくと「お…?もしかして…?」と徐々に怒りも静まってきたし、三月の華祭りではちゃめちゃに笑ってグチャグチャに号泣しムビチケを何枚も買い特集記事が掲載された雑誌を買いそりゃもうウキウキで京都嵐電とのコラボスタンプラリーにもUSJのコラボアトラクションにも行きました。死ぬほど浮かれてました。

現在、原作はジャンプで連載中ですが、終わる終わる詐欺でも何でもない、本当の最終章の真っただ中です。

13年応援してきた漫画ももう終わるんだな、こんなにも最高の漫画を応援してその最後の一瞬まで見届けられるんだな、としみじみしながらも、どうしても湧き上がる寂しさを怒涛のコラボやキャンペーンやグッズ展開で元気づけてもらっていたのですが、いざ観てみると「なんでこうなったんだ」という言葉にするにはあまりにも大きすぎる負の感情だけが残りました。

 

今回実写映画のストーリーとして取り上げられたのは原作ファンの中でもとても人気が高く、また銀魂という作品を通してもとても重要な長編シリーズの一つ「紅桜編」です。

映画公式サイトや各メディアであらすじが紹介されているのでここでは割愛しますが、銀時と高杉、そして桂の過去がはっきりと描かれた物語であり、主人公の銀時を知るにあたっては欠かせないものです。

 

本編前半は、登場するキャラクターの紹介パートのような構成になっていましたがほとんど「もともと銀魂はどんな作品か、どんなキャラクターが登場するか」を知っていることが前提に作られたようなもの。

人間関係やそのキャラの特徴なんかも名前とキャッチコピーだけが映されるのみで、まああんまりいないとは思うんですけど知識ゼロの人が見たらコスプレした芸能人がいっぱい出てくんな、って思われそうなものでした。

その後場面は、将軍様のペットである金色のカブトムシを万事屋と真選組で捕獲に奔走する「カブト狩り」へ。

特に万事屋に向かって内密であるはずの将軍様のペットについて近藤さんが馬鹿正直にべらべらしゃべってしまうのを、土方さんが小刻みにツッコミを入れるシーンは各雑誌のインタビューでもその日の撮影で一番笑いが起きたといわれているほどクオリティが高くテンポの良いギャグシーンで、その後の桂さん登場からの真選組モブ隊士を一人でなぎ倒していくシーンはそりゃもう優雅すぎる捌きっぷりで、もはや狂乱の貴公子というよりは普通にイギリスのプリンスって感じで中々わくわくしたのですが、それ以降がも言葉も出ないほどにひどい。

 

もう突っ込みだしたらキリがない。

一人称が私だったり俺だったりする桂さん、PS2みたいなグラでCG丸出しの定春、着ぐるみの縫い目丸出しのエリザベス、妙にねちっこい責め方と変なぶっ壊れ方したお妙さん、「死ぬなよ」とまず言わないことを口走る土方、ていうかそもそも真選組が絡む話じゃない、原作にまるでない上に銀魂っぽくもなんともないアドリブシーン、演技もキャラもクソもないただの佐藤二朗

似蔵が出てきた辺りからかなり冷めてきており、劇場内に響く笑い声を聞いていたんですが、圧倒的に監督によって脚色されたり付け足されたオリジナルシーンでの方が笑い声が大きく、というかそもそも銀魂本来のギャグシーンだけ妙に印象が薄く、流すように演出されてる気すらしました。

ここまではまあ、正直実写に対して嫌悪感しかない古参信者の難癖じゃねえか、と思われても仕方ないのかもしれませんが、一番ショックを受けたのは本編後半、銀時がいよいよ高杉率いる鬼兵隊潜む船へ乗り込もうかというシーンです。

 

忽然と消えた桂さんの行方を追うために、紅桜を手に暴走を始める似蔵に重傷を負わされた銀時は傷だらけの身体を引きずって(原作紅桜編には一切登場しない)江戸一番のからくり技師、平賀源外の工場へ向かいます。

身体を紅桜に乗っ取られはじめ、もはや人間をはるかに逸脱した力を得てしまった似蔵に対して「勝てる気がしない」と愚痴る銀時。そんなこと言うなよと雑に励ます源外、そしてさらに一言、銀時の口から

 

「楽して勝ちたい」

 

あの、あの銀時が、この状況で、楽して勝ちたいと。なんか楽に勝てる武器とかないのかと。相談に来るわけです。

上述しましたが桂さんは無事もわからぬ状態、エリザベスも桂さんの死すら過る中懸命に捜索、新八もエリザベスに加勢し鬼兵隊に属する過激派浪士達がうろつく港へ潜入、神楽ちゃんは定春へ伝言を残し単身高杉の居る本丸へ乗り込み、赤い弾丸と恐れられる来島また子の凶弾に倒れたというピンチの真っただ中です。

銀時はその間、似蔵から受けた傷により昏睡状態に陥っておりもちろんここまでそれぞれの行方は把握していないわけですが、看病に来ていたお妙さんの不審な様子、誰もいない万事屋に不穏な気配を察しているわけです。

原作では、それでも動き出そうとする銀時を「新ちゃんも神楽ちゃんも、銀さんがいなくなったら困るから」とお妙さんなりに銀時の身を案じて引き留め、そんな気持ちはもちろん十二分にわかっているけどそれでも自分の死の危機よりも何よりも、彼等を救うべく瀕死の身体を引きずり高杉の元へ向かう、という本当にこんなブログの一文では説明出来ないほど、銀時らしい粋で渋くて一本筋の通った武士道と、お妙さんの「バカな男」と言いながらも黙って傷だらけの銀時を見送るいじらしさが垣間見られる場面になっています。

その前振りも銀魂らしさも本編の物語も何もかもぶん投げて、「楽して勝ちたい」という一言だけでこの一連の件を描写されました。

 

いや、銀時っていわゆるジャンプらしい主人公ではないですよ。

糖尿病寸前だし目は死んでるしちゃらんぽらんだし足は臭いし家賃は払わないし給料も払わないし、でもやる時はやる。自分の中で決めた武士道は死んでも曲げないし、曲げるくらいなら死んだ方がマシだってくらい、それくらい自分に限らず他人の信念や意志を重んじる人です。

というかもう、ここじゃ描ききれないくらい複雑で一言で言えないようなキャラクターだなと常々思います。銀時はこんな奴なんだって言いきっちゃったら、もうそこで銀魂は終わるし魅力も失うくらいだな、と個人的には思ってます。

そういう人が、めちゃくちゃしょうもない事をやってたり、かと思えばとっても真摯だったり、そういうギャップが銀時だけではなく、この作品全員の持つ魅力というか、ファンを引き付けて離さない何かだと思うのですが、彼らはみな絶対に「これだけはやっちゃいけない事」「これだけは貫き通さなきゃいけない事」ってのを、言葉ではっきり示しはしないけど態度や行動で示して守り続けてると思うんですよ。

そういう「線引き」であったり、「武士道」というものを、読んでるうちに読者は薄々気付いたり、こういうものなのかなと予想したりして描いていると思います。根底にその「絶対的な信念」を感じているからこそ、ふざけているシーンが何倍も面白く感じたり、ちょっとダメな部分や、短所と思われるような一面も殊更愛おしく、面白く、魅力的に感じるし、なんか許せちゃうんだよなとか、なんかもっとこのバカ騒ぎを見続けたくなるんだよなって感じるんだと思うんですよ。

くわえて、独特と言葉のセンスがまた一層癖になる。本当にその場で会話してるみたいに自然なキャッチボールなのに、よくよく読んだら200kmのとんでもない切れ味のストレートがいくつも交じってる、それがもうファンとしては堪らん訳です。ネットでよく「おいィィィ!!」なんて揶揄されてますが、もうこっちは体にボコボコその火の玉ストレートを食らっててそれどころじゃないしもっと食らいに行きたくて試合中にマウンド駆け回りたいくらい病みつきなんですよ。

この二つの要素と、空知先生の独特の世界観、価値観とまれにみるシャイっぷり、漫画への執念と情熱が籠もった作品だなと思ってます。

でもこの映画、それが全然ないんですよ、一つも感じないんですよ。表面の上澄みだけ掬い取って、あるいはそれすらせずに勝手に考えて付け足したり、もともと福田組でやってたおふざけを銀魂という舞台装置でやってるだけなんですよ。

ただつまらないとか、滑ったとかならまだいい。そうじゃなくてそういった悪い意味での「おふざけ」を「これが銀魂だ!」と声高に叫んでるのが何より悔しい。ただ一人の、一般人のファンなのに悔しい。銀魂じゃないのに。銀魂以外の別の何かなのに。

 

銀魂って確かにアニメでむちゃくちゃしてるし、ゲロ吐くしうんこ漏らすしちんこも出るし、勝手にパロディもするけど、やっぱり「これだけは何があろうとも揺るがない物」っていうのがあって、そこを軸にギャグやったりふざけたりするからああ面白いな、と感じるのであって、何にも土台がないところで勝手にふざけて、そのノリで「楽して勝ちたい」とか言っちゃって、それでもっともらしい台詞言われたってなんの説得力もないんですよ。なに言ってんだお前ってなるでしょ。なんでそんな怒ってんだよとか、もう真選組に任せればいいじゃんってなるでしょ。

原作でもちょくちょく「お説教」とか言及されてますが、銀時って正直お前みたいなだらしない奴に説教されたくねえよと思われるギリギリのところにいると思います。

見る人によればどんだけ過去に何かあってもこんなだらしねえ主人公に魅力なんてないよ説教臭いよ!で一蹴されてもおかしくないのを、「これだけは何があろうとも揺るがない物」を貫き通しているから応援したくなるし好きになるし、原作世界のキャラクター達も悪態つきながらも一緒にいるんじゃないかな、って私は思います。

 

このシーンは本当にそういうものを全部台無しにするシーンだと思います。

二時間という短い映画作品の中で言葉で説明できない信念の部分を詰め込もうと思ったらなかなか難しいものかもしれませんが、アニメ映画版紅桜では放映したアニメの総集編仕様とはいえ最後に伝説の銀時と桂の共闘シーンを含めて見事に96分でまとめていますし、完結篇では空知先生書下ろしの完全オリジナルの、未来と過去を行き来する複雑なストーリー構成となっていますが110分でもうめっちゃくちゃ濃厚な映画になっています。

ちょくちょく出てくるアドリブシーンやら、私が脳の血管がキレそうなほど激怒してる件の楽に勝ちたいシーンなんか削ればもっとうまいこと出来ただろ、としか思えません。

アニメ版の演出やカットをかなり意識してるなとは思いましたが、妙なとこでアニメにこだわって実写で出来るであろう演出が潰され、大事にしなきゃいけないとこで原作を蔑ろにしててもうむちゃくちゃで何をメインディッシュで見せたいのかさっぱりわかりませんでした。

一番最初に書きましたが、知識ゼロの人が見たらちんぷんかんぷんだし、原作ファンが見たらなんでこんな改変されてんだよと感じるし、なんとなく知ってる人や俳優さんのファンが見てもお世辞にも映画全体を通して(特に後半)のテンポは一本の映画として面白いものなのかと疑問に思います。

ジャパンプレミアもかなり楽しみにしてライブ配信を観たのですが、もう今後あるかないかわからない豪華キャスト陣が一同にそろった貴重な場であり、全国からも必死の思いで抽選に応募した各ファン、凄まじい人数の記者が来ているにも拘わらず終始司会進行の方や回答するキャストの発言を遮り無茶苦茶にして、その様子すらも「銀魂らしくて最高のプレミアでした」と片づける神経にもう腸が煮えくりかえりました。

ジャパンプレミアでも映画本編でも、自分たちが楽してふざけていることを、「銀魂らしい」という言葉を盾にしてそこで起きた笑いを「銀魂の笑い」にしていることが許せません。銀魂の笑いは一本筋の通った武士道という土台の上で起きているものだと感じます。不誠実さやただただふざける行為は笑いですらないと強く思います。

銀魂は作品の性質上こけても成功してもおいしい、なんて言われてますが、怒りの感情が生まれるだけでこけても成功しても笑えないよ、というのが率直な本音です。

こういう怒り丸出しのブログを世に発表することもよくないかとは思いましたが、このままだとあの監督に続編という悪夢を生み出されそうなこと、あまりにもひどすぎる内容に怒りを抱えきれずに言葉として発散しました。

続編が作られない事だけを祈ります。