オタクの在り方

銀魂と、銀魂オタクの私の話です

単行本に未収録のジャンプ本誌の話をしたりしています

原作の展開、実写映画に対しての愚痴、ネタバレを多く含む記事になりますが、基本的には私自身の気持ちの整理の為に書き出した記事なのでご注意ください

 

 

 

 

 

 

8月9日に開催された実写版銀魂2の完成披露試写会に行ってきた

出来ることならば1800円を出したくないという下心から応募へ出していたら、去年の試写会から二年連続して当選していた、ので観に行った

 

映画の内容に(後日改めて記事にします)、去年よりも感情がめちゃくちゃになった

去年はブルルン(今年も開催されてるけど)、USJコラボアトラクション、何よりも大銀魂展という最高の原画展があったので、映画で受けたショックだってそっちがあるから何があろうとも「銀魂(原作とアニメ)は無敵なんだ!」という気持ちで忘れることが出来た

 

今作は全然ダメだった。ショックが大きくて受け止めきれない

予告映像を見て予想していたよりもむちゃくちゃ物語を変えられていたし、大事な大事なシーンも映画のオリジナル要素でそのシーンの意味も、そこに至るまでの経緯も、そこでそうしたキャラクターたちの性格も行動理念も信念も、何もかも変えられていた

正直前作よりもダメージが大きい。紅桜だって大好きな長編の一つではあるが、やっぱり大好きな沖田君の特別なシーンのある動乱篇は、真選組にとって特別な動乱篇だけは汚されたくないという気持ちがものすごく強い

原作でもアニメでも大好きな話だったし、アニメではよりぬき銀魂さんシアターとしても放映された、銀魂の中でも特にファン人気の高い物語だと思う

それが他はどう変えても許容できるけれど、そこだけは変えてくれるなというところばかりを変えられていて、あまりのショックに試写会で泣いてしまった

 

原作もまだ連載されている、アニメだってまた再開している、リアルコラボイベントも情報が追い切れないくらい開催されている。なら実写がどうなろうと大丈夫じゃないかと思ってた

でも今年は去年違ってとそれらの在り方が異なる。もしかしたら私自身が自分で気が付いていないだけで、自分の受け止め方も価値観も変化しているのかもしれない

ここ数カ月、自分のオタクとしての在り方についてずっと考えていたせいもあるのかもしれない

 

 

 

先日の「イッテQ」という番組で、イモトアヤコさんが大ファンの安室奈美恵さんに会うことが出来たという内容が反響を呼んでいた

引退を控えた安室奈美恵さんがバラエティ番組にサプライズ的に出演されたということは勿論、恐らく一番観ていたオタクに響いたものはイモトさんのファンとしての姿勢が清く美しく、推しとオタクという関係として羨ましいと思えるものだったからだと感じる。少なくとも私はそのように感じたし、何処か自分と重ねて考えるようになってしまった

 

イモトさんは「安室さんが20年間好きだった。ずっと変わらず自信を持ってブレずに出来てることってたぶん、安室さんを好きってところだけ。安室さんに出会えたことで、私の人生は楽しく素晴らしく美しいものになっています。安室さんを好きになったことを誇りだと思っています。引退する日まではアーティストの安室さんとして、そのあとだってずっとずっと大好きです」(要約して書き出しています)と涙ながらに、しかし笑顔で誇らし気に語っていた

普段の危険な企画に始まり、世界最高峰レベルの山々にチャレンジし続けることよりも真っ先に、大好きな安室さんを前にしてシンプルに「安室さんを好きでいられたこと」に自信を持てると言い切った彼女の姿に号泣してしまった

 

比べたり重ねたりすることがおこがましいことであるのは重々承知だけれども許してほしい

私も銀魂に10代のころに出会ってから今もずっと10年以上好きでいる

当時、そろそろりぼんから卒業したいと考えていた私に、ワンピースという少年漫画があるということを友達が読んでいたジャンプを通して知った

家にはりぼんコミックスと一緒にぬ~べ~とるろうに剣心の単行本だけは何故かあり、少年漫画の存在は知っていたが少年誌に触れたのはそれが初めてだった

友達と一緒に貸し借りしながらジャンプを読んでいたのをぼんやりと知っていた母は、ある日インフルエンザで学校を休んでいた私に「暇つぶしにと思って」とジャンプを買ってきてくれた

 

赤マルジャンプだった

週刊少年ジャンプではなく、増刊号である赤マルジャンプというものだった

わざわざ気を利かせて買ってきてくれた母には「おいジャンプじゃねーよこれ!」などと言えるわけがなく、とりあえずパラパラと捲っていた。普通のジャンプよりも分厚いその雑誌の巻頭に、とじ込み付録として掲載されていた銀魂の連載一周年を記念したすごろくポスター。あんまり見たことないタイプの絵柄に、画面の三分の一くらい埋められてる作者のジャンプ巻末コメント集、刺激的な台詞の数々に少女漫画に慣れ親しんだクソガキの体に電撃が走る。それが出会いだった

まだ微熱が出ているのにもかかわらず、鼻水垂らして少ないお小遣いを握り締めて本屋さんへ単行本を買いに行ったのを今でも覚えている。人生で初めて「友達も読んでいるからなんとなく買ってる漫画」ではなく「心から欲しいと思って買いに行った漫画」に出会った

 

それからとにかく没頭した。正直学生時代の自分を知っている人にまだ銀魂好きなの?と思われるのは若干恥ずかしいが、同級生が結婚出産を迎えはじめた中でも、読み始めた当時と変わらず人生の大部分を占め続けている

受験や就職や大病など、人生の要所で時折作品から離れる時期もあったが、辛い時に真っ暗にした自分の部屋で買い集めた銀時のフィギュアを撫でたり、大音量でアニメのオープニング曲やエンディング曲を流して歌ったり、お気に入りの話や好きな話を読み返すと涙でしわくちゃの顔に必ず笑顔が戻った

家族よりも坂田銀時というキャラクターに頼っている時間の方が確実に長い。銀魂は教科書であり、自分の支えであり、憧れであり、大事な自分の一部と感じている。精神的に不安定だった10代のころに、常に傍に変わらず居続けてくれた銀魂には感謝しかない

価値観を形成するにあたっても大きく影響を受けたと我ながら思う。銀時達の信念に反するような行為は自分もしないし、銀時達が頑張っているならと思うと自分も頑張れたし、なんで銀時達は命を賭けて戦っているのに自分はこんななんだと自分を責めることもあったし、銀魂でネタにされていたものが好きになったりもした。私と銀魂の出会いのエピソードも、偶然にも原作で全蔵初登場回でジャンプ買ってくる母ちゃんあるあるネタとして触れられ、先日のジャンプ50周年記念号では銀時と剣心の描きおろしツーショットと空知先生からのコメントがあり、なんだかますますこの出会いが運命のように感じられて勝手に喜んでいたりする。人生の半分以上の年数を銀魂を追いかけて生きている

 

ご存知の通り銀魂の連載期間はかなり長い。2004年から開始され、このブログ記事を作成している現在まで続いている。単行本は70巻を超え、ジャンプでは連載開始当時に読んでいた漫画はどんどん完結していった

私は前述した通り、ジャンプを買い続けながら単行本が発売されれば同時に購入している時期と、いろいろあって毎週ジャンプを買うことが出来ずに単行本だけを購入している時期がある。アニメは放映されていた時期はほとんどリアルタイムで(今はネット配信サービスなどで)視聴している

ここ一年ほどはずっとジャンプを毎週買い、単行本も買っている。何故かというと、ついにこの漫画が最終章に突入したからだ。どうせならばリアルタイムでジャンプの紙面で完結する様を見たい、と思ってジャンプをまた買い始めたが、いまのところまだ終わりそうにはない

 

なんで安室さんとイモトさんの話を長々と書いたかというと、今の原作の展開に昔ほどついていけなくなってしまったからだ

昔、というか正確にわかりやすいボーダーラインを引くとするならば、将軍暗殺篇と呼ばれる物語からである

今月公開される実写映画でもその将軍というキャラクターは登場するが、この話は文字通り将軍の命を巡る、銀魂でいう「シリアス長編」と分類されるもの

銀魂におけるシリアス長編への評価は賛否分かれるものだと思うが、面白いつまらないはさておき、この長編から銀魂内の世界における大きな流れというものは表立って変わった、と思っている

それまでは何も考えずに追いかけていた。一心不乱に満面の笑みで追いかけていた。銀魂を追いかけている自分が何よりも誇らしかったし、空知英秋が発信するメッセージを受け止められるという喜びで、自分はどこまでもこの人達を追って走っていける気がしていた

将軍暗殺篇から短~中篇を挟みつつ、さらば真選組篇、烙陽決戦篇、銀ノ魂篇という現在の最終章にかけては、さすがに加齢からか息切れ混じりに追いかけ続けながらも時折立ち止まり、今まで走り抜けてきた軌跡を振り返ることが増えた

立ち止まる度に覚える違和感や、自分の受け止め方が果たして正しいのかどうかを確かめているうちにどんどん銀時達は突っ走っていくので、慌ててその背を追うことに必死になっている。そうしているうちに、昔と違ってそんな事をしてモタモタ足踏みしている自分に対して恐怖と不安を覚えていくようになった

その間にも当然時間は流れ、毎週月曜日にはしっかりジャンプは発売される。毎週十数ページずつ、銀時達は走り続ける

なんとその脚は、虚との最終決戦を境に二年という時を越えた

 

実際に二年という期間があったのではなく、描写として突然二年後になっていた

先の戦いでボロボロになっていた江戸はなんとか復興しはじめ、新八達も相応に二年分成長している

お盆と正月に会う親戚のおばちゃんが「大きくなったねえ」というのとは訳が違う

つい先週までまだまだ幼さの残っていた眼鏡の少年が、自分の上司の構える店を背負っていた。大人びた心を持ちながらも江戸の暮らしを年相応に楽しむチャイナ娘が、子供を産んでいた。二人が誰よりも信頼していた男は、傍に居なかった

江戸に住まう誰もの中に二年という時は確かに流れていた。けれど読んでいた私にまでは届かなかったのか、完全にそこで立ち止まってしまった 

銀魂の「今」を受け止められない自分を、受け止めたがらないでいると気付いた

 

結局神楽ちゃんの子供と紹介された神流は、神楽ちゃんが「定春を救うため万事屋を飛び出したのに、救う手立てもわからず帰ってきて新八達に合わせる顔がない」といった理由で、二年間の旅の道中にとある星で体得した「自分自身の肉体を変化させる術(幼女にもなるし老婆にもなれるほどのもの)」を使ってついた嘘だったのだが、神楽ちゃんがそんな嘘をつくことが信じられない

銀時達と出会ったときから自分の中に流れる夜兎の血には負けないと言い切り、一度はその血に支配されても最後まで自分で自分を信じてあげられた

その気持ちを不器用な父にも、兄である神威にも、銀時達にも向けられた神楽ちゃんを、私は作中でも1,2を争うくらい心の強い人だと思っている

定春は虚との戦いでその命を賭して龍脈に身を捧げ、一種の封印状態になってしまっている。その眠りを覚ます方法は今のところ誰にもわからない、けれど神楽ちゃんは「もしかしたら他の星にならあるのかもしれない」とわずかな可能性に賭けて飛び出した

新八に対して「ボロボロの故郷(江戸)を放って女の尻を追いかける奴の力は借りない」と強く突き放してしまった負い目を感じてはいるのだろうが、それでも「合わせる顔がない」と言わせるほどではないと思う

神楽ちゃんが一番に言い出したけれども、絶対に新八だって言い出していたはず。その後誰かがその可能性に賭けて危険を冒さなければいけなかったと新八はフォローしており、例えこの二年の旅で見つけられなかったという現実があってもそれは誰にも責める権利なんてない。定春自身もきっと「何で見つけられなかったんだ」なんて思うはずもない

私にはどうしても最終回発情期の一連のネタのために、神楽ちゃんにわざわざ遠回しで突飛な嘘をこじつけたようにしか思えなかった

 

同じく戦いによって受けた過度な負荷の影響でスリープしてしまったたまちゃん、そのたまちゃんを眠らせたままでは忍びない

たまちゃんが眠っている間、みんなの江戸の思い出を共有できるようにと作ったたま子の存在意義は納得出来るが、神流という存在を作ろうとしてついた嘘は今までの神楽ちゃんの性格を考えても、話の流れを考えても無理があるように思えてならない。今までこんなに無理やりギャグの為に人物の考え方を変えていただろうか

 

また、山崎の扱いについてもかなりのギャグ要員として持ち出されているが、まったく笑えない

虚との戦いに挑んだ誰もが、その場にいる全員を死なせるものかという思いで戦った。多くの戦死者、恐らく描写はされていないだけで龍脈の暴走による参戦者以外の民間人の死傷者も数万、数億人単位でいるはず。一番危険な戦地に山崎は真選組として立っていたが、この戦いで少なくとも読者には死亡したかと思われていた

けれども、それを山崎本人が言い出すまで忘れていたと。銀時だけではなく直属の上司の土方が忘れていたと言い放った

本人曰く「(瀕死状態の体を回収され)あちこちにたらい回しにされた挙句、こんな体(頭部を除く全身の機械化)にされた」とあるが、本体はどこかの医療機関?研究機関?でカプセルのようなもので保存されている描写がある

銀時が万事屋を空け二年をかけて全国を行脚し見つけた心臓を失った虚もまた、組織は違えど同じようなカプセルに保存されているが、あんぱんを動力に明らかに芙蓉システムを超えた不死身ともいえるオーバーテクノロジーな機械の身を動かしている山崎はその存在を忘れられギャグとして描写され、数千年の不死を保ちいまやその不死性を求めた人々が立ち上げた宗教により再び起こされるであろう大きな戦争の火種となっている虚が同時空で描かれているのだが、同じ命でこんなにも描写と扱いに差があるのかと思ってしまう

山崎だから何をしてもいいって、あまりにもひどい。あれだけ命を張って同じ戦地で戦っているのに何をしてもギャグにされる、しかも忘れられる

確かに虚戦の被害は大きいに違いないが、真選組は一度二年後に至るまでに全員で集まって土方から解散を告げられている描写があるので、戦後に一度招集されていることは間違いない。そこからずっと山崎を忘れていたということになる

影の薄いキャラだから、動乱篇でも同じようなことをやったからという言い分では納得が出来ない

虚戦ではかぶき町の面々に加え次郎長一家や神威も加わって、まさに虚とは銀時がこれまで万事屋として生きてきた中で関わり、互いに護り護られてきた者たちによる総力戦になっているが、それを忘れていたの一言で済ませられるのかと思うと呆気にとられる

 

新八は神楽ちゃんと銀時不在の間、たった一人で今まで三人でこなしてきていた仕事(崩壊した江戸の町の復興に携わっているので恐らく今まで以上の量)をやってのけている。ボロボロの万事屋を当時のまま保ったまま、自分ひとりだけ何もやりたいことが見つかっていないだけといった後ろめたさを口にしながら、それでも確実に一人一人名もない江戸の市民の手を取り救っている。恐らく銀時がお登勢さんに拾われたときよりも歳は若い

描写こそ少ないけれど、彼がこの二年間こつこつと積み上げてきたことは間違いなく「万事屋」そのもので、救われてきた江戸の人達は新八に、万事屋に深く感謝しているに違いない。そこでまた、戦争をしようとしている。あの時地球を滅ぼそうとしていた虚を巡って江戸で戦争しようとしているのが見ていてとても辛い

 

各々本当にやりたいことが出来たからとは言っているが、三人全員が何故かこの二年に対してどこか後ろめたいような、自分は何をやっているんだというような面持ちで過ごしているが、出来ればそんな顔をするくらいなら最初から三人で順番に解決していってほしかった

特に銀時の目的は常に命を狙われる危険性に晒されており、銀時自身が自分の願望やエゴで二人を危険な目に合わせる訳にはいかないといった責任感から敢えて目的を伝えずに旅に出たと予想はされるが、それはそれで辛いものがある

虚戦では初めて新八と神楽の強さ、成長を認めてはっきりと口にしており、背中を預けられる存在だからこそともに虚に立ち向かうことが出来たのだと思えたが、結局またかぶき町四天王篇以前の「危険には巻き込めない」という考え方に戻っている

結果的にあれだけ江戸の人々の命を奪った虚を、倒したその手で救おうとしていることから、それこそ「合わせる顔がない」のかもしれないし「坂田銀時」という一人の人間として抱える問題なのかもしれないが、なんだかいままで過ごしてきた「万事屋銀ちゃん」としての時間ってなんだったんだろうと思える

志村家と深く関わる尾美一の件や、神楽家に関わる一件(烙陽での戦い)には助け舟を出しているのに、いざ自分の松陽と虚(村塾関係)の件になると、銀時が途端に心を閉ざしてしまうのが悲しい。万事屋ってなんなんだろう。三人と一匹は互いにどれほど救われたかずっと見てきたのに、銀時の繊細な部分には今のところ高杉、桂くらいしか触れることを許されていないように見える(辰馬は自ら村塾外の人間という立場を理解して距離を保っているように見えるのでまた違う)

銀時自身恐らくこの問題について自分なりの答えが見つけられていないことの表れだとも思っているが、二年後に入って以降その迷いが強すぎて今まで見てきた坂田銀時とはまるで違う人に見えている

他にも真選組解体に至る経緯や土方さんの言動、ヅランプ大統領就任から暗殺に見せかけたテロ計画、そよちゃんを筆頭に不可解な幕府側の組織図など、こちらが整理する前に新たに要素、組織が加わってパニックになってきているのが自分の現状だ

 

ジャンプ(2018年36.37合併号)で映画の宣伝も兼ねた特集ページが組まれていたが、編集者ですら「全然わからん」とはっきり言ってしまっている

単行本のおまけページでどんどん解説を追加してなんとか補っている、という状況がまず漫画としての体裁を保ててはいないように見える

おまけページでの解説、設定の補足自体はそこまで珍しいものではないが、ジャンプ本誌に掲載されている質問がそもそも「難しくてついていけない」といった意図を含んだ質問で、アルタナについてはあのページで読者側が納得したといった体で更に進められているが、アルタナ以外でも補足しなければいけないことなんて山のようにある

それらが片付いていないまま新展開、新キャラクター、新要素が登場し、キャラそれぞれの心情も明確に本音を表現されないままでいる上に、前述したようなどこかこじつけのような、本当にいままでの銀魂ならこんな表現をしていたのか?と思うような描写が追加されていくので「本当にこの解釈で合っているのか」という不安がある

読み手側の読解力も勿論あるが、今の銀魂はそれ以上に様々な要素が散らかったままゴールを定めずに突き進んでいる印象が強く、昔のようにただただ追っかけていられるような安心感が薄れてしまったギャップに読んでいる私自身が動揺してしまっていて、そんな動揺をするような自分が本当に悲しい

 

そんなタイミングで実写映画を観て、心が折れた。みんな嬉しそうにしていて、この流れについていけてないのって私だけなんじゃないかと思う

それでも映画本編の原作無視、キャラの改悪、物語の捻じ曲げは決して許せるようなものではなかったし、どんどん自分が所謂「老害ファン」になっていってるだけなのではという気持ちがついて回る

昨年の実写で、自分自身このブログで「実写のせいで銀魂を楽しめなくなるのは本当に勿体ない」と書いた覚えがあるが、去年の自分は実写を受け入れられなくなっても絶対に揺るがぬ銀魂ファンだと思えていた。今はどうだろうか

一人で悶々と考えながら毎週恐る恐るジャンプを読んでいる今の私には、イモトさんが眩しくて羨ましくて堪らなかった

 

たぶん、一つの作品、団体、人物を好きになったからといって、その対象の全てを余す事無く好きにならなければいけないなんてことは絶対にない

家族だって友達だって何だってそうで、好きなところも苦手なところも、別に好きでも苦手でもどちらでもないというところが有っても良くて、それを踏まえてその対象を見ていたい、支えていたい、愛していたいという気持ちも、ファンとしての一つの在り方なんだと思っている。人の数だけ在り方は存在していて、正しいも悪いもない

好きなところが変化していくことって別におかしいことじゃない。月日が経って、いろんなメディア展開が増えて、そのうちいくつかが自分の趣味とは合わないことってあって当然だと思う。けれど、中々自分にそう言って聞かせることが出来ない

 

実写映画についてもきっとそうで、これは銀魂に限った話ではない

嫌だと感じる人もいるし、むちゃくちゃ嬉しいと感じる人もいるし、映画はどうでもいいけど映画のお陰で盛り上がれば嬉しいという人も、役者が見れればいいという人もいる

その気持ちをツイートするなり、友達に伝えるなり、とにかく発信していくことは決して悪いことではないのだと思う。良いも悪いも、そうしなければきっと作品そのものが発展していくことが出来なくなってしまうから

 

こうして落ち着いて考えて文字にすることは容易いけれど、実際他の映画を観に行ってパネルを見たり、テレビCMで流れているのを見たり、街中で見かけると途端にその冷静さを失ってしまう自分に、タイムラインの流れや喜んでいる輪の中に入る気のない、入れない自分に、オタクとしての在り方を一々問うてしまう。実写も受け入れられなくて原作にもついていけなくて、どこがファンなの?と

 

きっとどこかで信頼を寄せられる一つの柱があれば昔のように、イモトさんのように銀魂を好きな自分が誇れるのかもしれない

これだけダラダラと愚痴を垂れてきてはいるが、銀魂は大好きだ。むちゃくちゃ大好きだ

銀魂が無ければ、冗談抜きで死んでいた。銀魂があったから、私の人生はなんとか楽しいと思える。あの時楽しかったなと振り返る思い出の半数以上は大体銀魂に関わる何かだ。銀魂があったから知り合えた人もたくさんいたし、絵を描く楽しみも苦しみも知ることが出来た

飄々とした銀時が大好きだ。芯の強い神楽ちゃんが大好きだ。誰よりも優しくてみんなを愛する新八が大好きだ。勇敢で愛らしい定春が大好きだ

潔くて心の温かい近藤さんも、凛として人間味が強い土方さんも、掴みどころのない沖田君も、ボロクソ言われながらも逞しく監察の仕事に誇りを持つ山崎も、人を惹き付けて止まない桂さんも大好きだ。もうこうやって一人一人を思い返しながら書いていったら日が暮れてしまうけど、みんな大好きだ

アニメももちろん大好きだ。アニメスタッフと原作者で、言葉にせずともお互いを意識して切磋琢磨しているような関係が大好きだ。声優さんも大好きだ。国技館でいつもファンの為に言葉を選んで語ってくれる人たちが大好きだ

ブルルンのようなイベントに参加するのも大好きだし、今年初めて参加したライブカーニバルも今でもふと思い出して反芻するくらい大好きだし、出演されていたアーティストの方がMCで語ってくれた言葉も曲も大好きだ

一番くじも毎回違うテーマで書き下ろしてくれるのが楽しみだし、コラボカフェも可愛くて大好きだ

何よりも言葉を大切にし、締め切りの限界まで血反吐を吐きながらも原稿を作り上げる捻くれてシャイな空知先生が大好きだ

けれど今、大好きだと叫ぶ声には自信がなく、周りをきょろきょろ見渡してなんとか張り上げている情けない声になっているような気がする

 

どうすればまた胸を張れるか、そもそもこんなことを思い詰める必要なんてないのか、もっと視野を広げるべきなのか、ただなくなったら困るからしがみついてるだけなのか、全く分からずに浮かんでは消える思考でグチャグチャの頭でも分かるのは「やっぱりどうなっても銀魂を好きでいたい」ということだけで、これがイモトさんのいうブレないことなのだろうか

 

何を伝えたいのか全く分からなくなってしまって申し訳ないけれど、もしも同じような気持ちを抱えている人がいるのならば、どのような受け止め方をしているのかを聞かせて欲しいと思う

 

ここまで読んでくださった方はありがとうございました

(後日追記修正するかもしれません)

2018.08.11誤変換を修正しました