原作と一緒に振り返る「映画銀魂2 掟は破るためにこそある」ネタバレと感想と考察

公開に先駆け行われた完成披露試写会に参加することが出来たので、公開日に合わせてこの記事を作成致しました

実写版映画銀魂のネタバレ、感想、考察、解説をしたブログ記事です

 

注意事項

1、映画本編、原作、ともにネタバレとなる描写が多くあります

2、映画本編に対し、批判している部分もあります

3、筆者は原作、アニメの大ファンで実写そのものに対しては否定派です。どうしても原作ファン側としての意見が強いと思われますが、今回は初めて動乱篇というお話を見る、銀魂を見るという方にも伝わりやすいように解説なども含めて記述していきます

4、本編を観てから多少時間をおいてこの記事を書いているので、多少曖昧な部分や、記述の為にシーンのずれなどがあるかもしれませんがご了承ください

 

以下本文となります。約2万字以上あるのでかなりの長文です

 

 そもそも動乱篇ってなに?

今回実写化されるにあたり抜擢されたエピソードは、原作単行本第十九巻、第二十巻に収録されているエピソードです

ちなみに実写前作のエピソードである紅桜篇は第十一巻~第十二巻、dTVで配信されたミツバ篇は第十五巻~第十六巻になりますので、時系列でいうと

紅桜篇→ミツバ篇→動乱篇という流れになっていますので、一応映画内でも原作と同じ流れになっています

 

「柳生篇」にて刀を傷つけられ、新しい刀を打ってもらっていた土方十四郎は、その間に代わりの刀を鍛冶屋で手にした。すると、その刀を手にしてから土方の人格に二次元ヘタレオタク「トッシー」としての第二の人格が徐々に現れ始め、やがてその人格に支配されてしまうようになる。

そんなある時、真選組参謀・伊東鴨太郎や沖田総悟の策略にはまり、真選組を解雇されてしまう土方。その頃、同時に鬼兵隊と手を組んで真選組局長・近藤勲を殺し、真選組を我がものとしようと画策する伊東。これにより、真選組は近藤派と伊東派の2つに分かれてしまう。

一方解雇された土方は万事屋を訪れ、自分の手にした刀が妖刀「村麻紗」であることが発覚する。伊東の画策に気づいていた土方は、真選組について万事屋一行へ助けを求めるのであった。

そして、真選組始まって以来の大波乱が万事屋や鬼兵隊をも巻き込んで勃発する。

引用元:真選組動乱篇 - ニコ百 http://dic.nicovideo.jp/id/4356130

 

調べたらむちゃくちゃわかりやすいニコニコ大百科を見付けたので、あらすじとしてこのまま引用させていただきました

上記の土方を中心に巻き起こるお話を「動乱篇」と呼んでいます

 

実写映画ではこの動乱篇にくわえ、「将軍接待篇」と銘打ったエピソードを追加したものが本編になっております

将軍接待篇については、単行本の中から特に将軍に関わる人気のエピソードを掻い摘み合わせたもので、実写のように一日ずっと接待し続けるエピソードが原作にもあるという訳ではありません

 

実写と原作の違い(キャラクターについて)

まず、原作では動乱篇には将軍を接待するエピソードは交わりません

また、キャラクターの描写にも大きな違いがありました

 

松平片栗虎(まつだいらかたくりこ)

江戸の治安を守る警察庁長官。つまり真選組の上司にあたる人物。映画では「典型的なキャバ狂いの飲んだくれおじさん上司」としての面のみが強調されています

原作でもお妙の働く「すまいる」に入り浸っては豪遊するVIPとして認識されており、また父親としては年頃の娘に手を焼き、愛するあまりに彼氏の暗殺を目論んだりする過保護な面も。しかし近藤、土方、沖田には「とっつァん」と呼び親しまれ、真選組という組織は彼がいなくては今日存在していなかったものです

将軍に対しても友人のように接しており、将軍もまた気さくで堅い仕来りに縛られない彼を通して民を知れること、何よりも自身を一人の人間として接してくれる数少ない人物として深く信頼しています。このことから今回の映画のように度々お忍びで城下に遊びに来ているんです

映画本編ではのらりくらりと万斉を挑発しつつ、結局強いんだか何も考えていないんだかわからないおじさんとして終わってしまいましたが、その実力は高く、ピストル一つでビルを占拠するテロリスト集団を相手取って全員を捕縛させる程。真選組幹部達が振り回されながらも松平を慕うのは、銀魂キャラ皆に共通する「やるときはビシッときめる」人だから

あくまでサブキャラクターであり尺が無いとは言え、映画ではそういった側面の描写不足のせいで勿体ないなと感じました

 

そして今作の注目キャラクターである

征夷大将軍・徳川茂茂(とくがわしげしげ)、通称将ちゃん

恐らくなぜこの実写版第二弾に彼が取り上げられたからというと「監督のお気に入りだから」

前作での舞台挨拶やインタビューなどで、公開直後にも拘らず「将軍篇をやりたい!」と連呼してアピールしていたのをよく覚えています。なので「ああ、今回強引にぶちこんだんだなぁ」と察しています

将軍に関しては、流石あれだけやりたいやりたいと発言していただけあってか、将軍を取り巻くエピソード「のみ」はアニメに忠実に、実写版銀魂という尺度においてはかなりの完成度があるものになっていました。あと声の演技も小野友樹さん独特のあの演技に似せてたな~と思います

あくまでその完成度を個人的に認められるのは将軍絡みのみです。逆にいうとそこばかりに熱量が注がれ、そこばかり忠実に作られているのが露骨で、肝心の動乱篇というエピソードはかなりお粗末で、そして原作改悪がより一層目立つ形になったと思います

「将軍篇だけじゃ映画には出来ないから、とりあえず人気の動乱篇でカバーするか」という思惑があったのではないかと邪推するほどでした

 

そして将軍と同じく、実写版においてはメインとなるキャラクターである

伊東鴨太郎(いとうかもたろう)

彼についても、将軍と同じく丁寧に原作とアニメをなぞって描写された方だなと感じました

彼を演じた三浦春馬さんの演技は、鴨太郎にとても寄り添ったものだと思います。特に終盤の列車での戦い以降鴨太郎はどんどん追い詰められ、それまで見せていた冷静沈着な表情を焦りと自身の中に渦巻く孤独が突き破り、隠されていた本心が顔を出し始めますが、その辺りはまた原作やアニメとは違う「三浦さんが紡ぎだした鴨太郎」がそこに居たな、と感じる事が出来ました

河上万斉、猿飛あやめ、お登勢などのキャラもいますが、一先ず原作との違いが多すぎるのでストーリーをなぞりながら都度書いていこうかと思います

 

実写と原作の違い(映画本編について)

映画はアニメ銀魂でおなじみの「万事屋銀ちゃん背景の静止画で万事屋がぐだぐだ喋る」ところから始まります。前作もですが、実写版においては監督が10回だか100回だか読み込んだらしい原作の演出よりも、アニメ版と全く同じ演出が多々見られます。これもそのうちの一つ。アニメでは静止画のまま、愚痴ったり、放送出来ないようなことをピー音に混ぜて語る三人が名物となっていますが、それと全く同じことを実写でもやっています。映画泥棒のくだりやワーナーロゴ繰り返しは完全に「アニメ映画版銀魂」のそれですね

 

 

依頼の少ない万事屋の家計はいつも火の車。お登勢からの家賃の催促、食糧難に「依頼が来ないのなら自分達からアルバイトをしましょう」と申し立てる新八。ポリシーに反するものの明日の食事にすらありつけそうにもない状況では仕方ないと渋々重い腰をあげる銀時。向かったのは新八の姉である志村妙の働くキャバクラ「すまいる」であった

 

菅田将暉さんの日本アカデミー賞受賞、小栗さんのきみの膵臓を~を弄るという、中の人弄りネタを済ませて、静止画からいつもの万事屋の風景へ

相変わらず仕事も無いのでバイトをしましょうと提案する新八に、銀時が自分なりの万事屋としてのポリシー、というかプライドからか「自分からバイトしにいくのと依頼を待って万事屋として仕事をするのとでは違う!」と語るシーンは銀時っぽい意地の張り方だなと思います

 

ここでキャバクラの店長として佐藤二朗さんが登場するのですか、正直一目その姿を見ただけで「うわ出た」とげんなりしました

前作でも佐藤さんは鬼兵隊の参謀、武市変平太として登場していますが、重度のフェミニストで変人ではあるものの鬼兵隊の頭脳として活躍する武市のキャラは欠片もないただの佐藤二朗劇場を散々見せつけられたので、今回もそうなることは目に見えていました

早口や奇怪なイントネーションで捲し立て、敏捷な動きを見せながらデュワデュワデュワと笑い声を出す「いつものやつ」は銀魂以外でもよく見ていたので、その「いつものやつ」をまた銀魂でやるのかと呆れ返りました

このキャバクラの店長は原作でも同じような風貌で登場しますが、いたって普通のおじさん店長です。前作の「武市」という重要組織に与するキャラクターで「いつものやつ」をぶっこんだのも原作ファンの怒りを買う一つになったのですが、それを知ってか今作ではあんまり怒られないようなキャラでそれをしたんでしょうか

どれほど佐藤二朗という役者を監督が気に入っているかは知りませんが、この「佐藤さんのアドリブ力に頼り切った笑いを捻じ込み、それに対して撮影中だけど我慢できずに笑っちゃう他のキャストの映像をそのまま本編に使っちゃう大人の本気の悪ふざけ(笑)」的な演出が、この監督の持ち味の中でも一際特徴的で、銀魂には似合わないものだなと思っています。好きな人はきっとこれがたまらなく好きなんだとは思いますが…

こういうところをひっくるめて「これが銀魂だァァァ!」と大声張り上げて言わせるところが不愉快でたまりません

銀魂の原作って基本的に「(キャラ同士で)誰かを笑わせようとしてわざと面白い言い方をしたり言葉を使っていない」のが面白いんですよ。本人達は至って真面目に会議をしていたり、口喧嘩をしていたりする様が紙の壁を越えた私たち読者にとっては面白いだけなんです。それをクスクス笑ってるところも使っちゃう!みたいなのが、他の世界線では面白いことには違いないけれど、銀魂からはズレてるなと思います

 

 

金欠により「すまいる」に押しかけることになった万事屋一向。しかし店の女の子達はみんな風邪で寝込んでしまい、お妙と店長しか元気に出勤出来ていない状態。困ったことに、今日は店に幕府の要人が来るため閉店するようなことは出来ないとのこと。神楽がどこで覚えたのか、ペニーワイズばりの白塗りで自ら代わりのキャバ嬢として出勤するとアピールする中、屋根裏に忍んでいた銀時のストーカーこと猿飛あやめ(さっちゃん)を捕獲する

 

このさっちゃん、今作が初登場ではありますが、個人的に一、二を争うくらい可哀想なポジションにさせられてしまったなと思ってます

原作ファンからすれば既におなじみのキャラクターで説明不要なのですが、映画ではかなり簡単にしか説明(というか一瞬の字幕だけの補足)されません

実写だけを知っている人にとっては、今作がはじめてという人も、前作を観て今回も見に来たという人も「誰?」状態なんです。つまりさっちゃんの「銀時へ一途に惚れ込むあまりにやってしまうストーカー行為」「御庭番の凄腕で暗殺家業を営むくノ一」「納豆が好き」「とんでもないドM」という彼女を彩る性質はろくに説明もされないまま、いきなりボロンと登場します

なので登場→そんなの興奮するじゃないの!!も、実写だけのファンは意味不明です。ボンテージも中途半端なので、「ガンツでも夏菜のヌード見たけどやっぱりスタイル抜群だな」程度にしかならないんです。めっちゃくちゃキャラを殺されてます。そんなんなら普通にお妙さんだけで成立するだろと思いましたし、試写会会場もそれまでわりと笑いで沸いてたんですが、このさっちゃんの一連のシーンは「…?」みたいな空気が流れていていたたまれなくなりました

 

 

ひとまずキャバ嬢として見目麗しいさっちゃんを確保は出来たものの、まだまだ人数は足りない。そこに攘夷活動の金策に困窮した桂がエリザベスを連れて現れる

要人たちの来訪まで時間がない、慌てて準備をするお妙たち。当然のように女装をする桂。そしてそのワチャワチャに巻き込まれ新八、銀時までもが女装してもてなすことに

 

原作ではここにお妙の幼馴染であり柳生篇メインキャラクターの柳生九兵衛、柳生一門の東城歩が店に差し入れを持って、お登勢のもとで働くキャサリンがただ酒を呑めると聞いて登場しますが、実写ではなぜか桂が参入しています

女装した男衆はすでにネットニュースなどでも話題になっていましたが、岡田将生さんのインパクトがまあ強いのなんの。原作でも桂は女装を幾度もこなし定番の「ヅラ子」なるビジュアルが固定されていますが、実写ではガチのお水のお姉さん風に仕上げられています。お顔の造形の美しさは勿論注目ですが、身長も高く恐らくピンヒールも履かれているのでとなりの神楽との身長差がパンダコパンダくらいあるんですよね。その光景はさすがに面白かったです

 

 

ともかくこれでキャバ嬢は揃った(神楽含)。あとは要人を出迎えるのみ…そこに現れたのは松平が率いる真選組の面々。銀時と新八はこの痴態を悟られてはならないと咄嗟に顎をしゃくらせ必死のカモフラージュを試みる。重々しい雰囲気の中、松平に導かれやってきたのはなんと征夷大将軍、徳川茂茂であった

しかしその高貴な男が将軍だと気付いたのは店長、銀時、新八だけらしく、女子達は通常営業でもてなす気満々。なんとか将軍に気持ちよく帰っていただくために奮闘するが…

 

ここまではテンポ良く進んでる印象です。ただずっと気になっていたのが早口、大声になったときに台詞が全く聞き取れないこと。公式PR側がとりあえず「●●だァァァァァ!!」と叫んでおけば銀魂っぽくなるみたいな形式だけが独り歩きして、とにかく伸ばした語尾を強めることばかりに注力しており、台詞部分が聞き取れない

アニメでもたまーにそういう場面があったのは覚えているんですが、実写だと「●△※×■だよォォォ!!」としか聞こえず、台詞が面白い銀魂なのに小栗旬達がなんか変な格好してデカい声出してるのが面白い、にすり替わっているのが目立ちました。あと殴られるときにスローになってコロコロコミックみたいな吹っ飛び方するアレも見ていて恥ずかしい

 

 

将軍の前で粗相などしようものなら打ち首は免れない。命を賭けた王様ゲームが開かれる一方で、将軍を護衛する為にやってきた真選組の土方、沖田、山崎は愚痴を漏らす。将軍は常々、庶民がどのように過ごし暮らしているか知りたいと語っており、松平が時折こっそりと城を抜け出させては将軍に江戸の町民達の遊びを教えている。しかしその度に呼び出されては護衛を任される真選組はたまったもんではない。松平への愚痴を零す土方に、沖田は「周囲の見廻りにでも行ってきてくださいよ」と提案。ここで今作における将軍接待篇と動乱篇の物語は二つに分岐する

 

提案を受け入れ歩き出す土方の背後でひっそりと沖田はほくそ笑んでいますが、この時点で後述する伊東と内通していたという描写かと思われます

 

夜道の暗がりから、土方の首筋に向かって安っぽいおもちゃのようなピストルでのようなものが打ち込まれる。痛みに気を取られながらも町屋の間を進む土方の前に、偶然通りがかった攘夷浪士の集団が立ちはだかった

すぐ傍のキャバクラで楽しむ将軍の身を考えればここは一人でさっさと片付けてしまうのが妥当。慣れた手付きで柄へ手を伸ばすが、気が付けばその手は無意識に地面を這っている。土方は敵である浪士達に向かい、あろうことか土下座で命乞いをしているのだ

浪士は一瞬あの鬼の副長がとった意外な行動にたじろぐも、ここぞとばかりにリンチする。何度立ち上がろうとしても、斬りかかろうとしても、意識とは裏腹に土方の体はヘタレて許しを乞うばかり。命の危機に瀕する土方を、よく見知った剣筋が一瞬にして浪士たちを切り伏せ救う

真選組の参謀、伊東鴨太郎が土方の窮地を救ったのだった

 

お気づきかと思われますが、冒頭で引用した原作動乱篇のあらすじとこの時点でもう全く違う展開になっています

土方をヘタレの呪いに陥れた原因は妖刀ではなく謎の針のようなものに変更されています。原作動乱篇で土方がトッシーとなってしまったのは、町の刀鍛冶へと愛刀の手入れを依頼した際に、鍛冶屋で見つけた妖刀を手入れが終わるまでの代わりにと持ち出してしまった為です。この妖刀を手に入れるまでも、伊東が幕府上層部を説得して仕入れた武器や刀に真選組の面々が反応する描写があり、そこで土方と他の隊士達との違いが描かれています

原作では最新型でかなりの上物である刀を、近藤、沖田、山崎達は早速手にしていますが、土方はそれらを気にもかけずに鍛冶屋へと向かっています。わざわざ手入れに出さずとも立派な業物の刀はあるというのにそれらに頼らない、という時点で伊東との対立…というよりは伊東にも頼らないし、そもそも刀の格式など気にしていないという意思の表れでしょう

刀は敵の白刃を切り抜けられるための術であればいい、と独白する土方は鍛冶屋の忠告も聞かず妖刀を手にその場を後にします。何故ならそれが刀でさえあれば、どれほど高価なものだろうと、どれほど危険な伝説が付き纏うものだろうと彼にとっては関係ないのです

土方のこうした独特の考え方に触れられることなく、実写ではあっさりと「便利な機械」に変更されていました

(ニコニコ大百科のあらすじでは「新しい刀を~…」とありますが、原作では「俺のが直るまで~…」と土方が依頼しているのであくまで元の刀の手入れだと思ってます) 

 

 

救い出された土方、伊東を含めた真選組総出で伊東の帰陣を祝した宴が開かれる。ご機嫌で伊東を「先生」と呼び慕う近藤、伊東も声高に自論を演説しているがそれを見守る山崎達は何処か訝し気である

伊東は一年前に入隊したにも拘らず、局長や副長に次いで参謀という新たなポストに加えられているからだ。それでもその肩書は彼の実力に相当したもの。彼は頭脳明晰、免許皆伝、今まで近藤達だけではかなり苦労していた政治関係の仕事を一手に担う程の切れ者である。近藤も伊東の知識の深さ、仕事ぶりを認めている…だが土方は違った。宴の席を立ち廊下ですれ違う二人は、決定的に互いを天敵と認識していた

 

この辺りも、映画だとわりと簡単にさらりと流していましたが違う部分も多いです。近藤、土方の話し合いも数分で済まされていますが、原作では両者の意見をしっかりと伝えあっています。映画では「土方が気に入らない伊東を追い出してくれと駄々をこねている」ように見えました。ちなみに隊士みんなが杯を掲げる中、沖田がスン…とすました顔でちっさいグラスでオレンジジュースか何かをストローで飲んでいるシーンがちらっとだけ映りますが、私が今作で唯一好きなシーンです

ここは「ああ、やっぱり土方さんって本当に鋭い人なんだな」とか「近藤さんが局長で良かった」と思える、この二人の信頼関係をよく表しているシーンであり、その後の伊東と土方だけにある繋がりを見せるための丁寧な前置きとなる重要なシーンだと思うので、是非単行本で読んでいただきたいです(というかここだけではなく全編に言えることなのですが)

 

この後もじわじわと「トッシー」の暴走に蝕まれ始める「土方」、この二つの人格のギャップを丁寧に原作では描いています。読者は土方という男の厳しさも強さも良く知っています、だからこそどのような手を使おうとしても手放すことが出来なくなってしまった妖刀の恐ろしさを知り、沖田もいよいよこの奇怪な行動も冗談ではないと悟りますが、この辺りをほとんどすっ飛ばしているので、謎の針による攻撃の説得感や土方が感じている焦りも一切伝わらない

その間も万事屋のバイト先への将軍の襲来が挟んで描かれますが、今作は明らかに将軍パートに時間を割きすぎています

確かに将軍パートって面白く作られていますが、この映画においては絶対に時間配分がおかしい。土方とトッシー、二人の人格が土方十四郎の体を奪い合うような日常の対比部分も動乱篇の目玉であり、また唯一といっていいギャグパートになります。このパートがあるからこそ、普段の「鬼の副長、土方十四郎」の恐ろしさ、強さ、隊士達からの畏怖と尊敬をしっかり感じる事が出来るのに、それを将軍で削り取るのは勿体なさすぎる

アニメ版の動乱篇が非常に人気が高いのは、土方を演じる声優の中井和哉さんの演じ分けの力が大きなポイントになっているからだと思いますが、映画でも柳楽さんのそれは素晴らしいと感じました。声だけではなく、きっと土方十四郎であれば動かさないであろう表情筋が不安気に引き攣ったり、情けなく笑顔で弛んだりと細かな動作の違いが良いなと感じたのですが、それが将軍パートで少なくなってしまうのは動乱篇の魅力も土方、柳楽さんの魅力も潰してしまったとしか思えません

 

 

制御不能の別人格によって段々と土方は追い詰められいく。決め手となってしまったのは、真選組幹部の会議に沖田に押し付けられた「おつかい」のため遅れてしまったこと。沖田はわざと難題をふっかけ、計画的にこの会議に参加する幹部全員の前で、土方が自らが取り決めた局中法度を犯す様を見せつける為だった。伊東と沖田はグルだったのである

 

現代のオタクについて討論するバラエティ番組に出演した「トッシー」を土方とは知らず、乱闘騒ぎにまで発展した白熱の論争を繰り広げたアイドルオタクの新八が、詫びの為に彼を万事屋へ案内する

銀時達を「坂田氏」「神楽氏」と呼ぶ目の前の男は銀時達の知る土方十四郎ではなく、真選組から追放されたヘタれたニート思考のアニメオタク、トッシーそのものへ変わっていた

一方真選組では、計画通りに土方を排除することが出来た伊東がほくそ笑む。良き協力者となった沖田に望みを聞けば「あくまで副長の座でさァ」と彼らしい答えだけが返ってきたが、伊東にとっては副長の座など些末な過程の一つに過ぎない

伊東は土方の推察通り、真選組の掌握を狙っていた。誰からも理解されないことを、誰にもこの心の渇きを潤すことが出来ないことを、最大の敵である土方だけは唯一初めから見抜き、理解していたことへの皮肉を口にしつつも、この計画の仕上げへと伊東は動き出した

 

いよいよ物語は大きく動き始めます

トッシーと新八の出演したテレビ番組を「新八の勇姿」と言って真っ先に録画してあげる神楽の可愛さは実写でも変わらず。実写では録画機器と格闘した末にVHSテープをDVDデッキに突っ込んでいたのが判明しましたが、原作ではなぜかチーズトーストが出来上がっててどっちも神楽らしくって可愛い。その後の即興コスプレ撮影会では絶対にやるだろうなと思ってた千年に一度のアレもお披露目

 

柳楽さんと橋本さんの愛らしさはさておき、とにかく沖田の描写が全体的に不親切だなと感じました

この実写版動乱篇だけで土方と沖田の関係性を察するのはとても難しいと思います。去年dTVでも配信されたミツバ篇、そして普段の二人を見ていなければ、動乱篇における沖田は「ただ土方を陥れる為にフラフラ立場を変える奴」に見えてしまいます

銀魂という漫画は動乱篇のような長編や短篇もありますが、基本的には一話完結の構成になっています。しかし銀魂に登場するキャラクターたちの関係は、その一話一話の積み重なりで変化していきます。敵対しあうキャラ、信頼しあうキャラ、縁が深くなっていくキャラがいて、彼らもまたそうなのです

物語やギャグは、実写映画のように一部を切り出して楽しむことが出来ますが、彼らの人間模様は積み重ねて読み込むことで初めてわかってきます。時間の制限がある一本の映画作品でそれらを表現するのって当然難しいと思います、ただ実写版銀魂に限っては、その切り出し方があまりにも雑で、無粋で、下手くそなんです

沖田は初登場から一貫して土方の命と副長の座を虎視眈々と 狙い続け、外野から見れば肝を冷やすようなやりとりも平気で土方へ持ち掛けます。彼は本気で土方を殺してやるぞとも思っているし、本気で土方が自分に殺されてしまうようなタマだとも思っていません。出会った頃から気に食わない野郎のままでいる土方だからこそ、近藤と共に真選組でいられるのです

…とキモオタ丸出しで長々と書きましたが、たぶんきっとこんな風に感じるのは単行本からブックオフの匂いがするまで読み込んだ人達だけで、なんか面白そうじゃん!と映画だけ観に来た人にとっては関係の無い部分ではあると思います。ただ何故切り出し方が下手くそなのかというと、

 

前作も今作もアニメや原作を十分に読み込んだ人にしか真相が伝わりにくい構成なのに、その読み込んだ人達を一番大事にしていない切り出し方をしているから

 

これはこの沖田に関して以外もそうなのですが、とにかく実写版銀魂は全編を通してアニメそっくりに作っていたり、必要であろう説明を省いたりするくせに、大事なシーンをすっ飛ばして代わりに余計なオリジナル要素を突っ込んでいる。たぶんこの点に関してが一番否定派の方の怒りを買っている原因ではないでしょうか

必要な説明を知っているのも、大事なシーンを飛ばされたと気付くのも、従来からのファンだけなんです。だからそのファンだけが大事なシーンを無下にされたことに激怒して、うっすらと銀魂を知ってる人は面白かったからいいじゃん、という構図になってしまう(この構図もまた映画とは別に監督の言動と合わせて、実写を受け入れられなかったファンの心を打ちのめす大きな要因となっていると思います)

実写映画化された他の漫画・アニメファンの方ならなんとなく私の書いている意味が伝わるかと思います

「いやいやそこまで怒らなくてもいいでしょ」と言われると思いますが、とにかく忠実にしろ!無駄なシーンを作るな!とかそういう訳ではなく、本当に大事なところを踏みにじり、その上で監督に「これは原作を100回読みこんで作った俺が守りたい銀魂」だと叫ばれるから銀魂として受け入れられないんです、切り捨てられた本当に大事なところこそが、銀魂の心臓とも呼べる場所だから。この辺はまたこの後に大きく改変ポイントがあるので後述します

 

 

 変わり果て、真選組という居場所も失ってしまった土方を何とかしようと銀時達は江戸一番のからくり発明者、源外のもとへ。源外の解析によると、土方の首へ打ち込まれた謎の針はマイクロチップ。そのチップは、攘夷戦争中に天人が侍達を一掃しようと開発した「人格をヘタレたオタクへ」と歪めるという代物であった

チップは土方の脊髄深くまで侵入しており、下手に外部から取り出そうとすると神経まで傷つけてしまう為不可能である、と告げられるが、VRゴーグルのような機器で作り出した空間で疑似的にオタク人格を矯正しようと試みる…しかし当然失敗

もう土方十四郎の人格は完全に消滅してしまうかと思われた矢先、トッシーはおもむろに煙草を手に取る。ヘタレオタクには無縁であろうその煙草を震える手先で唇へ運びながら語りだしたのは、紛れも無く土方十四郎。彼は土方十四郎として、土下座までして万事屋一同へ頼み込む。「真選組を護ってほしい」と…

 

今作でも最悪の改悪ポイントの一つです

ここまでわりとまあ悪くないじゃん!と思って観てたのですが、ここからの怒涛の改悪原作捻じ曲げの1時間で気が狂うかと思いました

動乱篇におけるトッシー憑依の原因を妖刀からチップへ変更したのは、源外を演じるムロツヨシさんを出演させやすいようにと考えられたのではないでしょうか

前作が公開されるにあたり様々な雑誌やメディアでインタビューなどが行われ、当時全てではないですが色々と目を通してきました。ですがどれを見ても、どう頑張っても監督への拒絶しか生まれず苦しい想いをしたため、今年は全くそういった情報、ネットニュースを追っていません。なのであくまでこれは憶測にすぎないのですが、わざわざ妖刀の存在を消してチップに変更したのはどうしたってそうだとしか思えませんでした

原作では万事屋とトッシーが駆け込むのは前作紅桜篇でも登場した村田鉄子が営む鍛冶屋です。鉄子は一目見るなり妖刀の正体を見抜いて銀時達にその忌まわしい伝説を伝えてくれる役割を担っています。ここでは貴重な鉄子とトッシーの掛け合いも見れる、長編のゲストキャラであった鉄子と今でもしっかりと関りが継続されていることを確認出来る、銀魂の世界が生きていることを感じさせるシーンだと思うのですが、それが丸ごとなかったことになっています

トッシー人格矯正シーンでのエヴァパロディですが、こういった別アニメのパロディ自体は原作でもよくあるものです。そもそも源外さんはレントゲン撮って人体を診るようなお医者さんではなくてからくりのスペシャリストだろという細かいツッコミどころはありつつも、それはそれで良いのです(良くないと思ってますけど)が、ここで無理やり源外を出演させたことが後になって響いてきます

 

そして今作の2つ目の大きな改悪ポイント「土方から万事屋への依頼シーン」

 ここで「土方十四郎」をはっきりと土下座させたことが許せません

原作でもアニメでも、土方は煙草を依り代のようにしてトッシーの人格を押しのけなんとか表面に出てきます。脂汗を滲ませながら、絞り出すようにして万事屋へ「俺達の真選組を護ってくれ」と頼みますが、恐らくかなり無理をしてトッシーの人格を抑え付け精神的に疲弊しているためか、その場に崩れ落ちてしまいます

そう、確かに護ってくれとお願いしています。疲れからか意図的なものか、首を垂れるような姿勢になっています。私はここを土下座してお願いしたシーンではなく、藁にも縋る想いで必死に頭を下げた(下げる姿勢になってしまった)シーンだと思っています。少なくとも実写のように土下座をした、と解釈をしている人は少ないと思います

何を細かいことを…と思われるかもしれませんが、冒頭で浪士にリンチされるシーンを思い出してください。真選組鬼の副長、土方十四郎としてあり得ない行為」として真っ先に土下座をしています

あれはトッシーだったから戦わねばならない場面で敵を相手に情けなく土下座をしたんですよ。ここでは相手は万事屋の3人ですが、万事屋は勿論土方にとっての敵という訳ではありません。しかし土方にとっては仲間という訳でもありません。万事屋と真選組は切磋琢磨しあうライバルでもなく、仲良しなお友達でもなく、けれども決して切ることは出来ない縁に結ばれた絶妙な関係にあります。特に銀時は似通った性質を持ちながらも顔を突き合わせる度に喧嘩になってしまうような相性ではありますが、度々互いに救い救われています

土方個人がとてもプライドが高く自分にも身内にも厳しい人柄であることは銀時達もよく知っており、だからこそ彼が何よりも大事にしている真選組の命運を託すという意味がどれほどのものかをよくわかっているのだと思います 

確かにここでは土方にとっては必死にならなければいけないシーンですし、それくらい必死なんだよという表現として土下座をさせたのでしょうが、ただでさえトッシーと土方との対比が足りないのに同じ表現で懇願をさせては全く意味がないなと感じました

 

 

伊東とその派閥による企みを聞いてしまった山崎は土方へ知らせる為に屯所を飛び出すが、彼の行く手を鬼兵隊の河上万斉が阻む。伊東は鬼兵隊と内通し手を組んでいたのだ。山崎は斬り付けられ瀕死の身体を引きずりながら、あくまでも自分がついていきたいと決めた土方の下へ向かうが、その背中に万斉の無慈悲な刃が振り下ろされる

そして途方に暮れて街中に出た銀時一行を、既に伊東一派に与した隊士達が襲う。何とか切り抜け逆にパトカーを乗っ取るも、無線から聞こえたのは伊東による「近藤、土方両者の暗殺計画」であった

「将軍の旅の護衛」という嘘の任務を伝えられ任務を信じ込んだ近藤、そして沖田を含む伊東派だけが乗り合わせた列車はどんどんと江戸を離れていく…

 

 大まかな流れは原作に沿っていますが、近藤が伊東達と列車に乗る経緯が「新規隊士募集のための遠征」から「お忍びで出かける将軍の護衛」になっています。ここでようやくちょっとだけ動乱篇と将軍接待篇が交わります

このシーン辺りから、前作よりも圧倒的に制作費がかかってるな…と感じる事が出来ますね。前作はもうおままごとみたいなセットで戦っていたので…

 

列車という閉鎖空間で伊東に与した隊士達に取り囲まれ刃を向けられる近藤。伊東の口から直接真選組の支配を宣言されるも、平然と笑い飛ばしていつもと変わらぬ口調で語り始める

近藤の絶体絶命の状況に現れたのは沖田。近藤を取り囲む刃の群れを目にした瞬間、彼は真選組一番隊隊長、沖田総悟の顔を見せ激昂する

戦いを拒絶するトッシーを乗せたパトカーで銀時達も列車を追う一方、呑気に再び町へ繰り出す無防備な松平と将軍を狙う鬼兵隊。渦中の車内では、先頭列車へ近藤を逃した沖田が、かつての同胞達へ最後の教えを授けると共に、一番隊隊長としての粛清を開始した

 

いよいよクライマックスに突入しますが、この辺りから原作ともどんどんかけ離れていきます

映画では万斉率いる鬼兵隊が城へ突撃しますが、原作では伊東達の乗る列車を追いかけてやってきます。「護りの要である真選組が不在、崩壊寸前の隙を突く」という理由として将軍を出した意味も出てるかと思われます。個人的には原作での荒野と列車を舞台にした近藤派、伊東派、鬼兵隊、万事屋の大乱戦と、その後の土方達の戦いを邪魔させない為に銀時と万斉で一騎打ちとなる流れがかっこよくて大好きなので残念でした

この映画で私が唯一楽しみにしていたのがここの「沖田の粛清シーン」です。かなり短い時間ではあるのですが、普段バズーカ片手に大暴れする事の多い沖田の、真選組きっての天才剣士と謳われるその所以を目にすることが出来る銀魂作中でも本当に人気の高いシーンです

実写でも特にビジュアルの美しさに人気が爆発した吉沢亮さんがそれを演じるとあってかなり期待していましたが、口上から決めの「死んじまいなァ」までは最高でした。ここに1800円払う価値がある…沖田の殺陣も前作ではほとんどなかったので、しっかりした戦闘シーンを見ることが出来たのは嬉しかったです

…が、ここからが一部のファンがショックを受け、私も怒りと悲しみで試写会から三日間ほど食事が喉を通らなくなったシーンが続きます。衝撃で記憶が飛び飛びになっているので若干シーンのずれがあるかもしれません

 

 

ついに近藤を乗せた列車へ追いつく銀時達のパトカー。土方の忠告を意に介さず伊東を疑う事無く信じ込み、真選組という組織を崩壊の危機へ自ら追い込んでしまったこと、そして土方が別人格により苦しめられていたことを気付けなかったことを涙ながらに詫び、万事屋にトッシーを逃がしてくれと頼む近藤。だが、おもむろに土方は無線機を手に取り、戦地に駆けつける全ての隊士達へ指令を下す

気迫に欠けた喝を飛ばすのは果たして土方十四郎なのかトッシーなのか。戦うのは嫌だと言い続けていた彼がそれでも携えていた刀を手にする

チップによる人格の支配をねじ伏せた彼は、真選組副長、土方十四郎として刀を抜いたのであった

 

最悪の改悪ポイントの3つ目です

動乱篇という物語においてここはとても重要なシーンです。解くことは出来ないと言われていたヘタレオタクの呪いを、副長としての揺るがぬ意志だけで打ち破ってみせる名場面です。映画では妖刀の件は丸々なかったことになっているので、チップが破壊される映像が見られますが酷いのはその抜刀の姿

原作ではほんの一瞬トッシーの片鱗をのぞかせるものの、銀時へと感謝を伝えながらも彼らしく奮い立つのですが、映画では刀を抜くのにかなり手間取ってしまい、そのシーンを完全にギャグ調に変更しています

 

妖刀の呪いもトッシーの人格も、自分の力でねじ伏せなければ何の意味もありません。確かに原作でも土方の中の小宇宙を萌やせと口走ってしまいますが、それもトッシーとしての人格の残滓。妖刀の呪いに打ち勝つ=トッシーが怯えていた戦場に自ら向かう=刀を土方十四郎として抜く、という意味があるのでそれを茶化してほしくなかった。「オラにみんなの元気を分けてくれ」とまで言わせていますが、分けて貰ったみんなの元気ではなく、己の信念で抜刀してほしい

細かいところではあると思うんですが、こういうところを変にギャグに変更するから本当にこの監督って無粋だな…と思います。過去の記事でも「紅桜篇で鉄矢の死亡シーンを、本当はその場で死ななきゃいけないんだけど、何回か目を覚まさせてデカい声で何か叫ばせるギャグシーンにしようかと思った」と発言してビジュアルブックにまで掲載したことについて批判しましたが、本当に、もう本当にこういうところが心の底から嫌です。信じられません。他のどこを弄っても目を瞑れるけど、ここだけは弄ってくれるなよというところを全部弄られてます

 

 

荒れる車内にはまだ伊東についた隊士達が残っていた。狭い空間で戦闘を強いられ、何よりもこれまで同士として、部下として共に暮らしていた者を手に掛けることに、流石の沖田も疲労の色を見せていた。そこにどこからか神楽が現れる

いつものように軽く挑発し、その口車に簡単に沖田も乗せられるものの、僅かに調子を取り戻したのか二人で伊東派の隊士達を次々と倒していく

そして銀時達の下へ松平からの救援要請が届く。しかし列車を追って既に江戸からは遠く離れてしまっており、今から向かって間に合うことなど出来ないとぼやく銀時に、どこからかネコバス…ではなくアライグマバスに乗った源外が迎えに来る。飛行するエリザベスに跨った桂も登場し、銀時の背を押すようにして戦いの渦へ向かっていく。バスのお陰で将軍の居る城まではひとっ飛び。戦地を離れ、銀時は単身将軍の下へ向かう

 

今作で、いや前作とdTVを含めて実写銀魂至上最大最悪の改悪ポイントです

 原作では沖田による「粛清」は、たった一人でやり遂げられます。ここに意味があるんです

先程も書きましたが、万事屋と真選組には絶対的な違い、距離があります

万事屋は銀時が立ち上げ、神楽と新八、定春の三人と一匹でかぶき町に住まう人々を救い救われ、護り護られている人達。真選組は今回の将軍護衛のように使いっぱしりのような仕事も時にはこなしますが、基本的には幕府に仕え江戸を守護するために作られた警察組織であり、それ以上に彼らは近藤という男が局長を務めるからこそ、命を賭けてこの組織に名を連ねているのです

ミツバ篇でも銀時は真選組内部を攪乱させるために起きた事件に関わることになりますが、最初から最後まで銀時はあくまで「万事屋」として真選組の領域へ決して踏み入ることはなく助け船を出すだけに留めており、物語の最後にはこの漫画の主人公の銀時ではなく真選組の土方と沖田がしっかりと止めを刺していて、その行動に口出しすることは決してありませんでした。動乱篇でも率先してトッシーを「助ける」訳ではなく土方十四郎の頼みを受けた万事屋」としてこの戦地に赴いています

動乱篇は特に真選組内部での戦いを描いており、真選組の伊東が起こしてしまった事件を、真選組の彼らがケジメを着けるために奔走しているのです

この粛清も正しくそれで、沖田は「土方が掲げた局中法度に違反した隊士」へ「隊長」として罰を下す、とっても大事なシーンです。最強の剣の腕を誇る沖田がこれほど傷を受けているのも、相手が真選組だから。しかし伊東派の隊士達を粛清出来る、しなければいけない人物は、同じ真選組である彼ら以外にこの世界に存在しません。違反すればその命を差し出す、それ程の厳しい掟を掲げたは誰でもない土方であり、その掟に賛同したのは隊士達全員、そして呪いによって幾多の掟を破り追放され命を狙われることになったのも土方。真選組という組織の強さ、厳しさ、繋がりを一番に感じる事が出来るのがこの動乱篇という物語なのです

この後にも真選組の原田が、瀕死の伊東に同情を見せる新八、神楽に対してはっきりと「裏切者は俺達で処分しなければいけない」と告げています。伊東がこれまで隠していた胸中を察していても、最後まで真選組として接することが彼らにとっての礼儀と誇りであり、ここで粛清された隊士達にも同じことが言えます

この粛清には真選組だけが関わらなければいけないと私は思っています。その原作をぶち壊して、神楽を参入させてしまったのが何よりも許せません。決して神楽に罪があるのではありません。このような展開を考え、公開した監督に罪があります

書くべきではないかもしれませんが、ツイッター上や監督に直接質問することが出来たイベントにて「沖神がほしい」「沖神シーンを入れてくれてありがとう」とファンから公式側へ直接伝えられたり、また公式側からも「沖神が人気があるので敢えて入れた」と発言したという出来事があったそうです

ただ「人気があるから」というだけで、原作にないシーンでキャラクターの信念と物語の意味を捻じ曲げられたことが本当に、本当に悔しくて辛いです。今ここに書き起こすだけでも悔しい。あれを公式だと、銀魂だと発信されるのが何よりも悔しい

何か大きな意図や意味をもって作られたシーンでも何でもないんです。なんとなくファンに人気の組み合わせだから、人気のシーンに入れておこう。たったそれだけの理由で、沖田と真選組の信念もそれを愛するファンの気持ちもあっさりと踏みにじられてしまった。あろうことか非公式のカップリング名を映画の制作側が口にして、勝手に出してしまったんです

確かにとても人気のある組み合わせです。原作でも銀時と土方、沖田と神楽、近藤と新八が対になって登場するシーンもありますし、いくつかのグッズでもこの組み合わせの絵柄のものが発売されたりはしています。映画を作っているのは生身の感情を持った一人の人間ですし、そういった人気の流れを意識をしたり本人がその流れを気に入ったから制作することってあると思います。前作でも少し銀時と土方の組み合わせを敢えて強調したと思われるシーンが、これまた原作にない実写オリジナルとして出されましたが、それでもカップリング名を公に発信してアピールすることはなかったと思います

それを今回、ファンとのイベントで監督が口にしてしまった。実写映画が破ったのは掟じゃなく最低限の常識です。人としての、漫画ファンへの売り出し方として、どこの制作会社も最低限守っている常識をビリッビリに破ったんです

こんなことをするくらいなら実写になんてしないでほしい。ファンにとって大事な思い出と物語を踏みにじらないでほしいんです

実写というものがいくら儲かるかなんて知りません。でももうちょっと、ほんの少しでいいから自分の発言や発信するものがファンにとってどんな風に伝わるか、どんな風に世間に広がっていくかを冷静に考えて欲しい。しかもそれが監督自身が1から生み出したオリジナルではなく、空知英秋という漫画家が積み上げてきた銀魂という一つのコンテンツなのであれば、オリジナル以上にその人の歴史と、ファンと、看板を背負っているということを考えて欲しいんです

 

そしてその後の源外の乱入。もう悪夢であってくれと思いました

前作で私が一番受け入れられなかったシーンが、神楽と新八、桂の安否が関わる局面で銀時が「楽して勝ちたい」と言い放ち、いよいよ高杉の居る船へ乗り込むというところにジブリパロを突っ込み茶化したものですが、まさか今作でも一番大事なシーンで同じ事を繰り返されるとは思いませんでした。こんなに真剣に命を賭けて戦っている横で、原作一番の大見せ場で、どんな神経してたらアライグマバスとかいうしょうもないネタを突っ込めるんでしょうか

原作ではここに万斉達も乗り込んでいるので、土方と伊東、銀時と万斉の一騎打ちになります。万斉は紅桜篇から銀時に対して危険な男と認識しており、動乱篇でもなぜ銀時が関係の無い真選組へ関わろうとするかを疑問視していますが、それは銀時にとってもそう簡単に説明できるものではありません。それでも尚、身体は止まらない、この腐れ縁を切れるものなら切ってみろと断言し万斉を倒します

映画では将軍の下へ駆けつけることになり城で戦うことになります。それまでにもぬるいギャグを挟み結局本物の将軍は無事であることを示されますが、こんなに締まりのない最終決戦がどこにあるんでしょうか

ここに参戦した誰もが命懸けでボロボロになっている、銀時も死ぬかもしれないような局面に幾度も立たされますが、自分で護ると決めたものたちを護る為に最後まで万事屋の坂田銀時として戦います。それをあんな水の差し方をして怠そうに一応駆けつけなんとなく万斉を倒すって、全員に対して無礼が過ぎませんか

 

そして桂の扱い、あまりにもひどい。通り魔みたいにただの変な人が変な生き物に乗ってうろうろしてるだけ

冒頭のキャバクラのシーンでも結局ものの数分で退場させられますが、まだ店に来る理由として「活動資金の確保の為に高給のキャバクラに出稼ぎ」というものは納得できます。しかしいくら銀時を手助けするためとはいえ、万事屋と違いはっきりと敵対している真選組へ突然乱入してまで味方するのは彼のキャラクター性が完全に崩壊しきっています

前作の紅桜篇でもいまいち出番を生かしきれず中途半端に終わり、今作でも話題性の為に女装でとりあえず出演して適当に最後にもちょろっと顔出させてラストまで放置って、雑にも程がある。オリジナル要素を入れたがるのに、しっかりとオリジナルとしても扱い切れないのなら無理やりキャラクターを出さないでほしいです

 

映画はこのあとなぜか三味線の弦を武器にしているはずが、スパイダーマンみたいな感じで雑誌縛って捨てる時のテープみたいなのを出して戦う万斉をあっさり銀時が倒し、一応原作やアニメに沿って万事屋が遠巻きに見守りながら土方と伊東の最後を見届け、高杉がちょっとだけ顔を出し、死んだと思われていたがその心意気を気に入った万斉により実は命拾いしていた山崎が勝手に挙げられている自分の葬式に困惑し、最後にいつもの副長の顔を取り戻した土方が真選組へ戻り、銀時が織田裕二ごっこをして熱狂的な原作ファンにとっては地獄のような2時間は幕を閉じます

最後の方は無難に原作をなぞって終わっていたので特筆することはないのですが、それまでのパンチが強すぎました 

 

 

総括と感想 

 

前半1時間は自分なりに楽しめていたのですが、後半1時間信じられない展開の連続でした。あまりの悔しさに大人のオタクが号泣しながら約1週間かけて色々と考えながら書き上げたのがこの記事です

個人的には前作よりもショックが大きい映画だと思いました。自分は万事屋と真選組の絶妙な関係性が大好きで、空知先生にしか描けない真選組という組織が大好きで、強くて冷たくて美しくて、真選組を何より大事に想い生きる沖田君が大好きなので、どうしても喜べるものではありませんでした

一本の映画としては前作紅桜篇って銀魂の原作ファンという立場を抜きにしてもかなりひどい方だなと思うんですが、今作はかなりマシというか、2時間飽きずに見れる作りにはなってるなと思います。映画としての良さを代償に銀魂としての良さが死んでる、という感じです

役者さんの演技は非の打ち所がないんですが、その軸となる脚本が受け付けられないのがもうとにかく悲しかったです

特に柳楽さん、中村さん、三浦さん、窪田さんは素晴らしかった。柳楽さんによる土方十四郎とトッシーという真逆の人格の演じ分けや、三浦さんの鴨太郎の気高くて冷酷で残虐で孤独な雰囲気、窪田さんの万斉がどこまでも不敵で不気味で飄々としていたのが印象的です。

橋本環奈ちゃんの演じる神楽も前作より可愛さがパワーアップしてたのも良かった…吉沢さんと沖田君のファンがまたとんでもない数で増えそうだなと思いました。もういっそ脚本なんて作らなくていいから、あの人達があの衣装で京都をぶらぶら歩いたり食事したり殺陣やってたりするシーンだけを集めたPVが見たいです

 

役者さんに関して以外で、ギャグのベクトルの違いや原作からの変更はさておき今回痛感したのが、上述した通り「アニメや原作を十分に読み込んだ人にしか真相が伝わりにくい構成、その層に向けた売り込み方をしているのに、その読み込んだ人達を一番大事にしていない物語を銀魂と呼んで売り出している」のが、この映画と監督を受け入れられない致命的なポイントだと思います

観ている時も「ああ~ここって土方さんならこうしてるのに!!」と思ったり「沖田君、ここでこんな風に言ってたのに!!」と思い続けてたので、楽しそうに大爆笑する観客の中で自分だけが怒りを感じているのが歯がゆく、悔しく、悲しく感じました

一部の方は「映画は監督の二次創作として楽しんでる」という意見の方もいるみたいなんですが、監督自身が銀魂の大ファンだと自称してこれが銀魂だと言い切って作り出した映画なので、そういう見方は私個人はどうしても出来ませんでした

本当に銀魂を思って作っているのなら、こんな風にキャラの信念を茶化したり切り捨てたりするなんて思えないんです。二次創作みたいな言い方するなら正直銀魂とヨシヒコの三次創作だと思います。でもそういう割り切った考え方って自分では絶対に出来ないので、すごいなと思います

 

過去の記事やツイッターでも書きましたが、前作はこうした自分の受け取り方を変えたくて舞台挨拶にいったりビジュアルブックを購入したりインタビューを読んだりしましたが、今年はもうその気力も絞り出せないくらいに疲弊しました

ツイッターだけではなくレビューサイトなどでも賛否両論ありましたし、ひっそりと意見を各所に送ったりしたので期待していたんですが、ダメでした

もちろんとっても楽しく受け止められた方もたくさんいると思うので、そういった方が映画だけ観て終わってしまうのではなく、いま「最新」の原作銀魂を楽しむ方に来てくれたらいいなと思ってます。原作ではこの動乱篇連載当時からは想像も出来ない展開に入っていて(それについても思うところはあるのですがまた機会に)、そこもしっかりアニメにされています

何より私はアニメ版の映画をもう一度目にしたいんです!この売上や流れが少しでもそういった方にいってくれれば…それだけが心の支えです

この記事を書きながら原作とアニメを見返していたのですが、当然なんですけど銀魂という作品は空知英秋先生にしか作れないものだなとしみじみ思いました。そしてアニメも、この制作スタッフだからこそのアニメ銀魂なんだな…と、杉田さん中井さん、他出演されている声優さんたちが銀時達の声を吹き込んでくれて本当に有難いなと…私が今までもこれからも大好きなのはこの人たちが作ってくれる銀魂なんだなと思うことが出来ました

 

こういうネガティブな意見ばかりを発信するのはいかがなものかと思うのですが、正当な手段で公式から発信されたコンテンツを受け止めたのであれば、感じた思いを表現するのは許されるものだと信じているのでこうして記事にしました

ただただ実写ヤダ!ヤダ!!と拒絶しているよりも、文章にしてアウトプットにした方が改めて良さも悪さも整理出来るかと思っていますし、これを見て誰かの心に何か届けばと思って書いています。今作、物語を書き起こしながら感想を綴ったのは、前作(紅桜篇)の感想で感情的過ぎて銀魂の本来の姿や好きなところが伝えられていないからと思ったからです

この記事がきっかけになれるかどうかはわかりませんが、是非とも原作単行本とアニメを見ていただければとても嬉しいです。どちらもめちゃくちゃに最高で楽しくて面白いので、よろしくお願い致します!

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!

 

 

 

補足

Q.なんで否定派なのに観に行ったの?

観に行かないままだと自分で作り上げた想像でもやもやし続けたり批判したりすることがわかっており、その行為は映画に対して失礼だなと思ったからです

 Q2.なんでこの記事を作ったの?

一人で抱えていると頭がどうにかなりそうだったからです

 

後日追記修正するかもしれません

誤字などの手直しは見つけ次第行います

 

2018.8.23追記

他の方の感想を見て気付いた点、初めて知った点などが出てきたので改めて後日追記出来ればと思っています

コメントの方も、よく考えてからお返ししたいので申し訳ありませんが承認待ち状態にしております